①オッドトーマスという映画を観た。
久しぶりに無意識に泣けた映画だった。
「愛する人を失う」ってのがテーマなんじゃないかって気がして、とてつもなくグッとくるものがあった。
時間があっという間に過ぎてしまって、シーンのひとつひとつに迫真があったことが伺える。
そしてヒロインのアディソンティムリンの既視感さえ覚えるような美しさっぷりと言ったらもう。
この映画に言うことはないでそん!
…ないでしょう。
良いなぁ、良い映画だったなぁ。
②エンダーのゲームという映画を観た。
久しぶりにラストに衝撃を受けた。
「っえぇーー!」
みたいな。
そこに関しては、もっかい衝撃受けたくて、二度見。
そんでもっかい
「っえぇーー!」
ってなった。
ストーリー的にも大好き。
記憶に残る作品となりました。
ここ最近、面白い映画に出会えている気がする。
なんか今シーズンの映画は、関心の高いものばかり。
残すは夏のアメリカ版「ゴジラ」のみ。
自分てSFものが好きなんだなって、最近凄く実感する。
アクションも、グラフィックも。
暴力的なカットだとか、ダイナミックな映像が観たいのではなくて
恐らく、アクションをしている人間やダイナミックな映像の中にある、『迫真』の部分に何か感じ取るものがあるのだろう。
そのシーンでなくて、その背景にある【感情】や【心理】。
日常に置いてきたものがその時だけ振動するかのような感覚。
そこはかとなく真に迫る一瞬を観た時に、掌がグッとなって自分の感情が一瞬だけその瞬間とリンクする。
そんな時間が楽しいんだと思う。
なにはともあれ、ここまで書かせたオッドトーマスという映画に感謝したい。
愛する人を失うってのは、それは辛いことでしょう。
出来るなら、今後において経験したくないものだ。
2014年5月28日水曜日
2014年5月26日月曜日
妄想しながら煙草を吹かす。
長いことリーマンやってて、ここ最近つくづく思う。
自分勝手な人が多いよなって。
それが良いか悪いかは置いといて。
年齢がどうとかも置いといて。
博愛精神を培っていて、時に自己犠牲。
そんな人に自分も成りたいと望んではいるけど、端から見たら自分も勝手な人間なのだろう。
認められたいって気持ちが無い事無いし。
子供の頃、ほんと小学校低学年の時のことを思い出す。
給食の給仕の、自分よりも一年低学年の子達が、ご飯の大きな箱をひっくり返していたのを見て、自分がやったことにして、逃げなさいと言ったことを思い出したりする。
たまに。
その子達からはその後、師匠って言われたっけ。
自分がしたこと以上に、嬉しかったりした。
打算もなかったから尚更。
誰かが笑顔になれさえすれば、自分の些細な犠牲なんて苦にもならなかったあの気持ち。
なんで大人になったら見失ってしまうんだろう。
利害が自分の生活に与える影響が大きいからってのは大いにあるけれど、そんな時代だからこそ、そういった純粋な博愛の心が、人の心を打つってのも、少なからず思ったりしてる。
そういう人に、実はなれたらなって思ってるけど、自分だけそう思ったところで、周りの稚拙な利己主義な人たちに感化されたり、疲れ果てて怒りに負けてしまう時、ほんと自分も勝手な生き物だなと自覚してしまったりする。
まるで自分が良い人間だみたいな書き方だけど、そうではなくて。
本質は、悪い時に生まれる心だとも思うから。
結局自分はまだまだ未熟な精神性なんだと思う。
悔しいけど。
自分の置かれた立ち位置からちょっと離れたりすると、実はどうでも良いって思えることがほんとんどだったりして。
ほんとに大切なことはいつも、2つか3つ程度しかない。
何に怒りを覚えるかで、その人の本質が見えてくると思う。
自分はまだまだ、「我」の強いままだと思う。
毎日を静かな気持ちで過ごしたいと願うからこそ、無我の境地じゃないけど、何か悟ったような心持ちを開拓したいのだ。
つまり、怒りが湧かない精神を宿したいってことか。
もういろいろ、疲れた日記になります。
ふーっ
月夜に照らされながら煙草吹かしてる時が今いちばん幸せ。
妄想満月。
ほんと、いろいろ疲れた。
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