2014年4月8日火曜日

未来。

同じ年月を生きてきても、自分を掘り下げて生きてる人もいれば、そうじゃない人もいる。

性格の違いということで片付けることも出来るけども、少なくとも多くの人はもっと感情的な繋がりを感じて生きていきたいと願っていると思っているから(じゃなかったら何かに感動することってないと思うから)、内面に耳を傾けたり情熱を注げる何かを探し求めて生きてたりするんじゃないでしょうか。


そういった心の繋がりを強く感じる存在に出会ったことが一度でもあるなら、それって人生に於いて最も貴重な体験のひとつであると、自分は断言したい。


大体同じような壁にぶつかって、ある程度ダークサイドに堕ちる時期があったり。
心を解放出来る存在に出会って、今までを見直したり。
病気になったり。
無敵になったり。
穏やかになったり。
楽しかったり。


生善説が正しいかとかはわかんないけど、自分がそんな体験をしてきたのであれば、同じ様な境遇にある人の心理を読み解くことは、案外簡単だったりして(勘違いとかも大いにあるだろうけど)。
だから、一概に誰かを敵視したり口撃を簡単にしてみたりすることは、愚かしい行為だと思うし、そうであるならば自分が歩んできた時の砂浜に足跡を残すようなこれまでの経験や体験は、誰の目にも留まらずに時間の波に掻き消されるようなもので、これ以上虚しいことってないとも思う。

人の深みは、時間と共にあるものなんじゃなかろうか。
残した足跡を、何かに躓いた人が見て、先駆者を感じて勇気を貰ったり。
そういうことの繰り返しで構成されている世界もあるんじゃなかろうか。
いや、きっとあるよね。


どんだけ駄目でも、今の自分が歩んでる道が先駆的なものだとしたら。
自分を信じて改革していく楽しみを得ることが出来さえすれば、人生はもっと豊かになるんじゃなかろうか。
なんか抽象的で宗教っぽい感じが自分で書いてて嫌悪感あるけど。


人生の面白みはそういう点にあると見出したりしてみたから。
きっと無駄な人生はないし。
価値を見出すなら、そういうことかなと思ったりしてみた。

会社やプライベート、新聞で観るような一こまや、映画のワンシーン。

ほんと、いろんな物語が始まっては終わり、経過の最中だったり。

自分の残す足跡を、誰かが見て勇気を貰うことがあるんだろうか。


うだうだ書いてはみたものの、やっぱ結局言いたいことは、自分もより感情的な繋がりを求めて生きてるんだなってことでしょうか。

情熱だとか、心踊らすようなこと。
衝撃を受けるような何かが、人生には必ずあると思うから。
それは経験を通しても。
きっと、生きてるだけで劇的なのが人生だから。


終止ポエミーな日記になってしまった。



さいなら〜

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