2014年4月21日月曜日

パノラマの街。

ちょっと前に、小田和正と櫻井和寿の共演で『パノラマの街』という曲が披露された。

その歌詞のストーリーが凄く良くて。
好きなフレーズが頭の中で何度もリフレインしていて。

苛ついた時だとか、頭がダークな時に
「できるなら大らかな愛で」

誰も皆、暗い気持ちでいたいなんて思わないし、不貞腐れた言葉の裏側や気持ちの裏面に宿された気付きにくい優しさ。
気付けた時にちょっと優しくなれる、そんなストレスフリーな気持ちを思い起こさせてくれるこの詩がとても好きです。

悲壮感や苦しみの中にも在る、楽しみのメロディーや表情が、櫻井和寿の綴る曲には在るような気がします。

複雑だけど、そんな中の純粋な愛情が、単純でシンプルで、表情がほころぶ歌い方も、色んなことを思い出させてくれて好きです。


歌って、良いですねぇ。


体裁とか、義理だとか、ストーリーとは裏腹な、本当の些細なところにある優しさだとか赦しの気持ちを、いつも自然に摑み取って打ち寄せるさざ波のように静かな心でいれる自分で在りたい。


出来るなら大らかな愛で
出来るなら優しい眼差しで
笑いや涙や大きな希望を見事に描き上げたい
そう考えてる


「出来るなら」


誰もがそう在りたいはず。

そこんとこをいつも理解してたい。


優しさってそんなことかなって思う今日この頃。

2014年4月18日金曜日

爆発力。

人が死ぬ時ってどんな時か問われて、『人から忘れられた時だよ』

っていうフレーズをなんとなく思い出しながら

人が駄目になる時ってのはどんなかなと考えて
『楽な方向に身を委ねてしまう時』かな、と今までの自分を振り返って思ってみました。


最悪な状況を打開していく術は、人によって様々だと思うけれど
やはりというべきか、結果の善し悪しを決めるのは、「信念があった選択だったか」だと思います。

なんとなく決めたことや、逃げの姿勢からの選択では、後々、どの道尻拭いをしなくてはならなかったり、取り返すのにもの凄く時間を要したりする。
そんな経験を誰もがしているのかもって思うけど。
後輩のそんな姿を見ていると、密かに応援したくなったり、ダークサイドに堕ちる意味だとか周りの理解の範囲を考えてしまいます。


今回は、そこより自分のことで。


求めていたものが手に入ったり、現状維持で在る程度幸福で在る場合、そこに留まって向上しようとしないだらし無さは一般的な男には付き物だと思う。
奢りだとか、自信過剰だとか。

仕事して、疲れたから何もせず横になって明日に備える。
昔の自分なら、もっと楽しいことを探すパワーだとか運動して精神状態をより良い状態にするべくつべこべ考えずに動いたりした。

何が言いたいかって、人が歳を取る時ってどんな時か考えたんです。
それで至った結論は『求めなくなった時』に人は歳を取る。

より良い自分。
もっと良い場所。
より素晴らしいパートナー。
もっと高みへ。
そして楽しい時間。


色んな欲求を満たすためには、やはり自ら動く爆発力が大切だと最近強く思うようになってきた。
自堕落なことに気付きもしない生活を送ってれば、現状維持か若しくは降下の一途。

そういった一種の爆発力をもった感情を思い起こして、何をやるからって歳は関係ない。
遅すぎるってことはないって想いで活動するべきだと最近強く思う。

というか、そういう感情が今の自分には少し足りないかなと思ったりしてます。

つまり、本格的に痩せたい!って想い。笑


頭を使えば使うほど
身体を使えば使うほど

調子は良くなると知ってる。


だらけた時間が長いほど、次動き出す時に必要になるパワーは半端じゃない。


だから、よく頭を使って、身体を使って、若さとパワーを取り戻したい。


新しいことにチャレンジしたいなと思ふ最近。



どんな環境でも起爆剤に着火出来るフットワークの軽さを身に纏っていたいもの。


勉強しよっと!








2014年4月11日金曜日

テンション。

いつものように春がやってきて。

ここ数年の自分の変化をちょっと振り返ってみて、ちょっと誇らしくなってみたり。

新しく興ったことや、訪れた場所。
いつになく昔を思い起こすような爽やかな気持ちでいれるこの頃。

頑張るでなく、テンションの高さが心地よく活動的でいれるこの気持ちを忘れたくなく。
穏やかだけど躍動的なこのテンションを、歌にしたいです。笑




新しい自分に出会えることの楽しさや喜びを、感じながら
でも別段変わらない日々

誰かにとって特別なことが、自分の日常にも溶け込んでてて
自分の特別が誰かの日常にも溶け込んでいる

そんな繊細さや、始まりをいつも感じていれるような、柔らかな感覚を


一瞬一瞬に詰め込んでいけたら






若干ミスチルにインスパイアされてる気もするけど。笑
思考に織り込まれて成長してきたようなもんだから半ば諦めるしか。


タイトルを付けるなら、

『始まりの詩』

とでもいったところか。

タイトルも、ぽいけど。笑



完成させたい

2014年4月8日火曜日

未来。

同じ年月を生きてきても、自分を掘り下げて生きてる人もいれば、そうじゃない人もいる。

性格の違いということで片付けることも出来るけども、少なくとも多くの人はもっと感情的な繋がりを感じて生きていきたいと願っていると思っているから(じゃなかったら何かに感動することってないと思うから)、内面に耳を傾けたり情熱を注げる何かを探し求めて生きてたりするんじゃないでしょうか。


そういった心の繋がりを強く感じる存在に出会ったことが一度でもあるなら、それって人生に於いて最も貴重な体験のひとつであると、自分は断言したい。


大体同じような壁にぶつかって、ある程度ダークサイドに堕ちる時期があったり。
心を解放出来る存在に出会って、今までを見直したり。
病気になったり。
無敵になったり。
穏やかになったり。
楽しかったり。


生善説が正しいかとかはわかんないけど、自分がそんな体験をしてきたのであれば、同じ様な境遇にある人の心理を読み解くことは、案外簡単だったりして(勘違いとかも大いにあるだろうけど)。
だから、一概に誰かを敵視したり口撃を簡単にしてみたりすることは、愚かしい行為だと思うし、そうであるならば自分が歩んできた時の砂浜に足跡を残すようなこれまでの経験や体験は、誰の目にも留まらずに時間の波に掻き消されるようなもので、これ以上虚しいことってないとも思う。

人の深みは、時間と共にあるものなんじゃなかろうか。
残した足跡を、何かに躓いた人が見て、先駆者を感じて勇気を貰ったり。
そういうことの繰り返しで構成されている世界もあるんじゃなかろうか。
いや、きっとあるよね。


どんだけ駄目でも、今の自分が歩んでる道が先駆的なものだとしたら。
自分を信じて改革していく楽しみを得ることが出来さえすれば、人生はもっと豊かになるんじゃなかろうか。
なんか抽象的で宗教っぽい感じが自分で書いてて嫌悪感あるけど。


人生の面白みはそういう点にあると見出したりしてみたから。
きっと無駄な人生はないし。
価値を見出すなら、そういうことかなと思ったりしてみた。

会社やプライベート、新聞で観るような一こまや、映画のワンシーン。

ほんと、いろんな物語が始まっては終わり、経過の最中だったり。

自分の残す足跡を、誰かが見て勇気を貰うことがあるんだろうか。


うだうだ書いてはみたものの、やっぱ結局言いたいことは、自分もより感情的な繋がりを求めて生きてるんだなってことでしょうか。

情熱だとか、心踊らすようなこと。
衝撃を受けるような何かが、人生には必ずあると思うから。
それは経験を通しても。
きっと、生きてるだけで劇的なのが人生だから。


終止ポエミーな日記になってしまった。



さいなら〜

2014年4月5日土曜日

納豆。

最近、「納豆」にご執心の毎日です。


三交代勤務の私は、代謝の問題や食生活の不規則によるなんちゃって便秘に割りかし頭を抱えておりました。


キッカケは何だったか覚えてませんが、最近「納豆」を食う機会が増えて、それと共に上記2点の悩みが激烈に解消してきておるのです。


まず、めっちゃ快便。
こんなにブリブリいってるのは実に3年振りくらい。
最高です。

そしてね、夜勤とかを重ねると脳内の血液がドロドロだなぁ的な感覚があったり、脹ら脛が凝り易かったり、血液的な問題を抱えたりするのですが、ここ連日「納豆」をひたすら搔っ食らっているせいか、実に血流快調。
いやまじで、血栓取れて、思考し易いのなんの(血栓あるかどうか見たわけではありませんが)。
なんか短気じゃなくなった気がするし。
脳内で流々と流れる血液を感じております。
勿論、主観ですが。


で、インターネットで「納豆」について調べると、非常に多くのポジティヴなデータを閲覧できます。




…こんなにすげーの?


てゆーくらいの威力。



そして何より、、
「納豆」…んめぇ!

美味。

あの粘り気。
絶妙な味わい。

一日一食、納豆2パックを毎日食しております。


すんげー快便と、すんげー思考快調(苛つく気がしない)。
浮腫も取れてね?的な。
この3点は真っ先に実感しました。

自分で納豆作ってみたいなって思っとります。
いずれ。


食と睡眠と活動。


食は納豆。
活動はFUELBAND。
睡眠はまだありませんが、暮らしに必須な事項に面白みや拘りが生まれると、なんか生きてることが楽しくなります。笑

単純かもしれませんが。



すんげー納豆美味い!


納豆!
納豆!
納豆!


げへへー!