別れがくる度に、その出会いに新しい「意味」が生まれてきたように思います。
思い入れがあればある程に。
新しい「意味」を持った別れが、また訪れました。
会社で一番気の合ってた後輩が、諸事情で退社することに。
これで縁が途切れるわけでもないけれど、寂しさは否めないわけで。
馬鹿話で笑い合うことや、同一の上司に対する不満をぶつけ合うことも、下世話な話で盛り上がることも、これからないのかーって、ふと考えた時、
こいつの代わりになる奴は現れるかなー、なんて思いました。
でも、現れるわけはないわけで。
そうそう気の合う友人に出会えるなんてことは、人生の中でもそんなないと思ってます。
友人に限らず。恋人や恩師、それこそ好きなアーティストだとか。
『心底認める』ってことは、人生の中で最もドラマティックなことだと思ってます。
心の芯をさらけ出すことって、結構難しいことだと思うから。
そこには『信頼』があることだから。
大好きなミスチルの歌に、くるみって曲があります。
これから訪れるであろう『来る未来』、君から見れば「今」の僕たちはどう写るの?
希望の数だけ失望は増えて、出会いの数だけ別れは増えて。
それでも明日に向けて歩んでいかないといけない、諸行無常。
みたいなw
ほんと、寂しさは心の栄養になると思う。
出会いと別れに関して言えば、それこそが人に「深み」を与えてくれる物語であって、自分の中で大きな「意味」を持っていればいるほど、そのパワーは計り知れないと思う。
悲しくはないし、切なさもないけれど、それを繰り返してきた今までに、こみ上げてくるものはあります。
今夜はその宴を開くけど、いつものように悪態ついてさらっと送り出したい気持ち。
人を成長させる、「別れ」について、考えてみた。
でも、それって「出会い」があってのこと。
これまでの「出会い」と物語に、感謝。
そして、これからの物語に幸多からんことを。
あー麺、食いたい。
おやすみ。
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