2014年7月2日水曜日

わっためがした。

こんばんわ。


このBlogを読んできた皆様。

本日を持って、本Blogわっためがすを閉鎖することをお知らせします。



今までの自分の気持ちや想いに区切りを付けるべく、このBlogの閉鎖は必要なことなので。
人の決意というのは、中途半端な気持ちではいけないと思うのです。

選択は慎重に、されど決意は堅固に。
それがこのわっためがすBlogで学んだことです。

勝手に始まって勝手に終わる、最初から最後までわっためがしたBlogになりましたが、今まで一度でもこのBlogを読んでくれた皆様、本当にありがとうございます。

そして、さようなら。

もう会うこともないでしょう。

皆様の人生に、幸多からんことを。

2014年6月22日日曜日

G-SHOCK!

白いG-SHOCKをGETしました。



腕時計はあまりする方ではなく、左手にはもっぱら愛機FUELBANDがここ二年程巻き付けられておりました。

がしかし、ここに来て欲しいと思える腕時計が出現。

それが、白いG-SHOCK。
どのモデルが良いとかは特になく、取りあえず白いG-SHOCKを巻きたい!
ただそういう願望が湧き出ておりました。

きっかけはきっと、尊敬する映像クリエイターのCASEY NEISTAT。







自分が目指すとこを地でいってる彼が大好き。

自分がこのように生きたいと思うことを実現している彼を尊敬しています。


で、いつも右手に巻いている白いG-SHOCK。
まるで、そのアクティビティや行動力、発想、自由を表現しているかのような白いG-SHOCK。
決して真似しているわけではありませんが。笑

白いG-SHOCKには実はちょっとした思い入れもありまして、腕時計はそんなに欲しかったわけではありませんが、プライベートでのきっかけもありまして、一気に2個GETするまでに至ったわけであります。

モデルはCASEYとは違うけど、なんかG-SHOCKって集めたくなるような魔力を秘めていると思いますw



海外では今空前のG-SHOCKブームらしいですしね♪


意識してたわけではありませんが、流行に乗っかったわけであります。


G-SHOCKを持つ時って、なぜか今まで色んな経緯があったりと、不思議な縁を感じたりしています。
そのカジュアルさであったり、「物」として自分の周りに存在している時のなんとなく愛着湧く感覚であったりと、自分の中の腕時計というカテゴリーの中で、G-SHOCKは少し特別です。

なんとなく、子供の頃の感覚を思い出すような。


いつも一緒に冒険のお供だった自転車のような。



これからも宜しく、白いG-SHOCK。


次にG-SHOCKを買う時は、スカイコックピットモデルが欲しいな!




2014年6月17日火曜日

手を引いて。

最近、ハマってる写真の撮り方がありまして。
写真家は色んな表現をするけれど、今までこれ良いなってゆー撮り方に出会ったことがなくて。
それが最近、凄く良い発見をして。
撮り溜まってきたのでUP します。

素敵な写真を撮ることって、楽しい
新しい表現の場を得たみたいで、楽しいです。
では。









         

2014年6月16日月曜日

勝利の笑みを 君と。

ワールドカップが始まりましたね!

スポーツ観戦はそんなに夢中になりはしないけど、その熱量や選手達のモチベーションやそこから得るものには凄く関心があります。

どうやって乗り越えるんだ?
その心意気や勝利を手にする為の心構えは、いつだって自分の求めるところだったりして。
それを知った時は自分の暮らしにもなんとか活かすことが出来ないだろうかって、模索しつつ応援してます。


こういったスポーツの祭典は、心が盛り上がって好きです。


近頃は、妙に器用に生きてたりして、そんなに上を目指さなくなったりしていて。
「まぁ別にいいか」なんて熱量の少ない自分にも慣れちゃったりしていて。

でも、そんな時、こういうイベントに感化されて気持ちを高めるのも悪くないなって思います。



なんで乗り越えるんだ?


って思う時、シンプルな答えが在るほど、良いと思います。


『誰かと心から笑い合えるように』
そんな根本にあるものがいつだって湧き出てこれば楽しいだろう。



高い壁も、どんな相手であっても、乗り越えた時の楽しい瞬間のために。


そんなことを唄ってるウカスカジーの楽曲がとっても良いです♪


職場でワールドカップの日本の勝敗について賭けたりしていて。
ギリシャに勝つか負けるか。

勝利の笑みを
摑み取ることが出来るだろうか。
ウキウキdays。





2014年6月3日火曜日

WWDC2014。

今年もこの時期がやってきましたね。
ワールドワイドディベロッパーズカンファレンス!

Appleの発表会でございます。



今回はiOSとOSXのアップデートが主体でした♪

毎年、iOSにせよ、OSXにせよ、心ときめくようなアップデートがされるので、ユーザーとしては本当に楽しいのひとこと。

日本ではiPhoneや新製品が発表されないと肩すかし的な記事をよく見ますが、各種アップデートの意味がライトユーザーには浸透するのが遅いから、いまいちインパクトに欠けるんでしょうか。

よく、部屋を片付けたり、模様替えをしてる時などは思ったりします。
『今、自分の部屋のアップデートが始まってる』
みたいなw

そう、見た目や機能、趣向など、OSのアップデートやリニューアルされたデザイン。
これらは、正にパーソナルスペースがリニューアルされるのと同じことだと思ってます。

部屋の飾り付けや色模様。
テイスト、配置。

自分の部屋がかっこ良くなったり奇麗になったりすれば、誰だってときめくでしょう?
そういうことだと思います。笑


個人的には今回のOSXヨセミテは、今までのMacOSの中でもデザインが一番好き。

もともとフラットデザイン肯定派なので尚更。


機能も今回は特に不満なしです。
見事にiOSとの連携が成されている。

早くMacで電話を取ってみたい。
そして、Siriも『へいSiri』で起動させてみたい。笑
待望のヘルスアプリも発表されたし!名前忘れたけど。

今年の秋は、
iPhone6とか噂のウェアラブルデバイスが発表されるのだろうか!

WWDC2014を現在観ながらこの記事を書いている。

参加者の歓声が凄くテンション上げる。
まるで祭り。


AppleのSE達。
彼らは自分にとって、自分の部屋を彩り美しく楽しく飾ってくれる、魔法の様な存在。
楽しくハイセンス、そして快適な暮らしを。


楽しい冬を過ごせそうです。

ウキウキ。

2014年5月28日水曜日

オッドトーマス。

①オッドトーマスという映画を観た。

久しぶりに無意識に泣けた映画だった。

「愛する人を失う」ってのがテーマなんじゃないかって気がして、とてつもなくグッとくるものがあった。


時間があっという間に過ぎてしまって、シーンのひとつひとつに迫真があったことが伺える。
そしてヒロインのアディソンティムリンの既視感さえ覚えるような美しさっぷりと言ったらもう。
この映画に言うことはないでそん!

…ないでしょう。

良いなぁ、良い映画だったなぁ。



②エンダーのゲームという映画を観た。

久しぶりにラストに衝撃を受けた。
「っえぇーー!」

みたいな。

そこに関しては、もっかい衝撃受けたくて、二度見。
そんでもっかい

「っえぇーー!」

ってなった。


ストーリー的にも大好き。
記憶に残る作品となりました。





ここ最近、面白い映画に出会えている気がする。
なんか今シーズンの映画は、関心の高いものばかり。
残すは夏のアメリカ版「ゴジラ」のみ。


自分てSFものが好きなんだなって、最近凄く実感する。


アクションも、グラフィックも。
暴力的なカットだとか、ダイナミックな映像が観たいのではなくて
恐らく、アクションをしている人間やダイナミックな映像の中にある、『迫真』の部分に何か感じ取るものがあるのだろう。

そのシーンでなくて、その背景にある【感情】や【心理】。
日常に置いてきたものがその時だけ振動するかのような感覚。


そこはかとなく真に迫る一瞬を観た時に、掌がグッとなって自分の感情が一瞬だけその瞬間とリンクする。
そんな時間が楽しいんだと思う。


なにはともあれ、ここまで書かせたオッドトーマスという映画に感謝したい。



愛する人を失うってのは、それは辛いことでしょう。
出来るなら、今後において経験したくないものだ。


2014年5月26日月曜日

妄想しながら煙草を吹かす。

長いことリーマンやってて、ここ最近つくづく思う。

自分勝手な人が多いよなって。


それが良いか悪いかは置いといて。
年齢がどうとかも置いといて。

博愛精神を培っていて、時に自己犠牲。
そんな人に自分も成りたいと望んではいるけど、端から見たら自分も勝手な人間なのだろう。
認められたいって気持ちが無い事無いし。


子供の頃、ほんと小学校低学年の時のことを思い出す。
給食の給仕の、自分よりも一年低学年の子達が、ご飯の大きな箱をひっくり返していたのを見て、自分がやったことにして、逃げなさいと言ったことを思い出したりする。
たまに。
その子達からはその後、師匠って言われたっけ。

自分がしたこと以上に、嬉しかったりした。
打算もなかったから尚更。

誰かが笑顔になれさえすれば、自分の些細な犠牲なんて苦にもならなかったあの気持ち。

なんで大人になったら見失ってしまうんだろう。



利害が自分の生活に与える影響が大きいからってのは大いにあるけれど、そんな時代だからこそ、そういった純粋な博愛の心が、人の心を打つってのも、少なからず思ったりしてる。


そういう人に、実はなれたらなって思ってるけど、自分だけそう思ったところで、周りの稚拙な利己主義な人たちに感化されたり、疲れ果てて怒りに負けてしまう時、ほんと自分も勝手な生き物だなと自覚してしまったりする。
まるで自分が良い人間だみたいな書き方だけど、そうではなくて。


本質は、悪い時に生まれる心だとも思うから。


結局自分はまだまだ未熟な精神性なんだと思う。


悔しいけど。



自分の置かれた立ち位置からちょっと離れたりすると、実はどうでも良いって思えることがほんとんどだったりして。
ほんとに大切なことはいつも、2つか3つ程度しかない。

何に怒りを覚えるかで、その人の本質が見えてくると思う。


自分はまだまだ、「我」の強いままだと思う。



毎日を静かな気持ちで過ごしたいと願うからこそ、無我の境地じゃないけど、何か悟ったような心持ちを開拓したいのだ。



つまり、怒りが湧かない精神を宿したいってことか。




もういろいろ、疲れた日記になります。



ふーっ


月夜に照らされながら煙草吹かしてる時が今いちばん幸せ。


妄想満月。



ほんと、いろいろ疲れた。

2014年4月21日月曜日

パノラマの街。

ちょっと前に、小田和正と櫻井和寿の共演で『パノラマの街』という曲が披露された。

その歌詞のストーリーが凄く良くて。
好きなフレーズが頭の中で何度もリフレインしていて。

苛ついた時だとか、頭がダークな時に
「できるなら大らかな愛で」

誰も皆、暗い気持ちでいたいなんて思わないし、不貞腐れた言葉の裏側や気持ちの裏面に宿された気付きにくい優しさ。
気付けた時にちょっと優しくなれる、そんなストレスフリーな気持ちを思い起こさせてくれるこの詩がとても好きです。

悲壮感や苦しみの中にも在る、楽しみのメロディーや表情が、櫻井和寿の綴る曲には在るような気がします。

複雑だけど、そんな中の純粋な愛情が、単純でシンプルで、表情がほころぶ歌い方も、色んなことを思い出させてくれて好きです。


歌って、良いですねぇ。


体裁とか、義理だとか、ストーリーとは裏腹な、本当の些細なところにある優しさだとか赦しの気持ちを、いつも自然に摑み取って打ち寄せるさざ波のように静かな心でいれる自分で在りたい。


出来るなら大らかな愛で
出来るなら優しい眼差しで
笑いや涙や大きな希望を見事に描き上げたい
そう考えてる


「出来るなら」


誰もがそう在りたいはず。

そこんとこをいつも理解してたい。


優しさってそんなことかなって思う今日この頃。

2014年4月18日金曜日

爆発力。

人が死ぬ時ってどんな時か問われて、『人から忘れられた時だよ』

っていうフレーズをなんとなく思い出しながら

人が駄目になる時ってのはどんなかなと考えて
『楽な方向に身を委ねてしまう時』かな、と今までの自分を振り返って思ってみました。


最悪な状況を打開していく術は、人によって様々だと思うけれど
やはりというべきか、結果の善し悪しを決めるのは、「信念があった選択だったか」だと思います。

なんとなく決めたことや、逃げの姿勢からの選択では、後々、どの道尻拭いをしなくてはならなかったり、取り返すのにもの凄く時間を要したりする。
そんな経験を誰もがしているのかもって思うけど。
後輩のそんな姿を見ていると、密かに応援したくなったり、ダークサイドに堕ちる意味だとか周りの理解の範囲を考えてしまいます。


今回は、そこより自分のことで。


求めていたものが手に入ったり、現状維持で在る程度幸福で在る場合、そこに留まって向上しようとしないだらし無さは一般的な男には付き物だと思う。
奢りだとか、自信過剰だとか。

仕事して、疲れたから何もせず横になって明日に備える。
昔の自分なら、もっと楽しいことを探すパワーだとか運動して精神状態をより良い状態にするべくつべこべ考えずに動いたりした。

何が言いたいかって、人が歳を取る時ってどんな時か考えたんです。
それで至った結論は『求めなくなった時』に人は歳を取る。

より良い自分。
もっと良い場所。
より素晴らしいパートナー。
もっと高みへ。
そして楽しい時間。


色んな欲求を満たすためには、やはり自ら動く爆発力が大切だと最近強く思うようになってきた。
自堕落なことに気付きもしない生活を送ってれば、現状維持か若しくは降下の一途。

そういった一種の爆発力をもった感情を思い起こして、何をやるからって歳は関係ない。
遅すぎるってことはないって想いで活動するべきだと最近強く思う。

というか、そういう感情が今の自分には少し足りないかなと思ったりしてます。

つまり、本格的に痩せたい!って想い。笑


頭を使えば使うほど
身体を使えば使うほど

調子は良くなると知ってる。


だらけた時間が長いほど、次動き出す時に必要になるパワーは半端じゃない。


だから、よく頭を使って、身体を使って、若さとパワーを取り戻したい。


新しいことにチャレンジしたいなと思ふ最近。



どんな環境でも起爆剤に着火出来るフットワークの軽さを身に纏っていたいもの。


勉強しよっと!








2014年4月11日金曜日

テンション。

いつものように春がやってきて。

ここ数年の自分の変化をちょっと振り返ってみて、ちょっと誇らしくなってみたり。

新しく興ったことや、訪れた場所。
いつになく昔を思い起こすような爽やかな気持ちでいれるこの頃。

頑張るでなく、テンションの高さが心地よく活動的でいれるこの気持ちを忘れたくなく。
穏やかだけど躍動的なこのテンションを、歌にしたいです。笑




新しい自分に出会えることの楽しさや喜びを、感じながら
でも別段変わらない日々

誰かにとって特別なことが、自分の日常にも溶け込んでてて
自分の特別が誰かの日常にも溶け込んでいる

そんな繊細さや、始まりをいつも感じていれるような、柔らかな感覚を


一瞬一瞬に詰め込んでいけたら






若干ミスチルにインスパイアされてる気もするけど。笑
思考に織り込まれて成長してきたようなもんだから半ば諦めるしか。


タイトルを付けるなら、

『始まりの詩』

とでもいったところか。

タイトルも、ぽいけど。笑



完成させたい

2014年4月8日火曜日

未来。

同じ年月を生きてきても、自分を掘り下げて生きてる人もいれば、そうじゃない人もいる。

性格の違いということで片付けることも出来るけども、少なくとも多くの人はもっと感情的な繋がりを感じて生きていきたいと願っていると思っているから(じゃなかったら何かに感動することってないと思うから)、内面に耳を傾けたり情熱を注げる何かを探し求めて生きてたりするんじゃないでしょうか。


そういった心の繋がりを強く感じる存在に出会ったことが一度でもあるなら、それって人生に於いて最も貴重な体験のひとつであると、自分は断言したい。


大体同じような壁にぶつかって、ある程度ダークサイドに堕ちる時期があったり。
心を解放出来る存在に出会って、今までを見直したり。
病気になったり。
無敵になったり。
穏やかになったり。
楽しかったり。


生善説が正しいかとかはわかんないけど、自分がそんな体験をしてきたのであれば、同じ様な境遇にある人の心理を読み解くことは、案外簡単だったりして(勘違いとかも大いにあるだろうけど)。
だから、一概に誰かを敵視したり口撃を簡単にしてみたりすることは、愚かしい行為だと思うし、そうであるならば自分が歩んできた時の砂浜に足跡を残すようなこれまでの経験や体験は、誰の目にも留まらずに時間の波に掻き消されるようなもので、これ以上虚しいことってないとも思う。

人の深みは、時間と共にあるものなんじゃなかろうか。
残した足跡を、何かに躓いた人が見て、先駆者を感じて勇気を貰ったり。
そういうことの繰り返しで構成されている世界もあるんじゃなかろうか。
いや、きっとあるよね。


どんだけ駄目でも、今の自分が歩んでる道が先駆的なものだとしたら。
自分を信じて改革していく楽しみを得ることが出来さえすれば、人生はもっと豊かになるんじゃなかろうか。
なんか抽象的で宗教っぽい感じが自分で書いてて嫌悪感あるけど。


人生の面白みはそういう点にあると見出したりしてみたから。
きっと無駄な人生はないし。
価値を見出すなら、そういうことかなと思ったりしてみた。

会社やプライベート、新聞で観るような一こまや、映画のワンシーン。

ほんと、いろんな物語が始まっては終わり、経過の最中だったり。

自分の残す足跡を、誰かが見て勇気を貰うことがあるんだろうか。


うだうだ書いてはみたものの、やっぱ結局言いたいことは、自分もより感情的な繋がりを求めて生きてるんだなってことでしょうか。

情熱だとか、心踊らすようなこと。
衝撃を受けるような何かが、人生には必ずあると思うから。
それは経験を通しても。
きっと、生きてるだけで劇的なのが人生だから。


終止ポエミーな日記になってしまった。



さいなら〜

2014年4月5日土曜日

納豆。

最近、「納豆」にご執心の毎日です。


三交代勤務の私は、代謝の問題や食生活の不規則によるなんちゃって便秘に割りかし頭を抱えておりました。


キッカケは何だったか覚えてませんが、最近「納豆」を食う機会が増えて、それと共に上記2点の悩みが激烈に解消してきておるのです。


まず、めっちゃ快便。
こんなにブリブリいってるのは実に3年振りくらい。
最高です。

そしてね、夜勤とかを重ねると脳内の血液がドロドロだなぁ的な感覚があったり、脹ら脛が凝り易かったり、血液的な問題を抱えたりするのですが、ここ連日「納豆」をひたすら搔っ食らっているせいか、実に血流快調。
いやまじで、血栓取れて、思考し易いのなんの(血栓あるかどうか見たわけではありませんが)。
なんか短気じゃなくなった気がするし。
脳内で流々と流れる血液を感じております。
勿論、主観ですが。


で、インターネットで「納豆」について調べると、非常に多くのポジティヴなデータを閲覧できます。




…こんなにすげーの?


てゆーくらいの威力。



そして何より、、
「納豆」…んめぇ!

美味。

あの粘り気。
絶妙な味わい。

一日一食、納豆2パックを毎日食しております。


すんげー快便と、すんげー思考快調(苛つく気がしない)。
浮腫も取れてね?的な。
この3点は真っ先に実感しました。

自分で納豆作ってみたいなって思っとります。
いずれ。


食と睡眠と活動。


食は納豆。
活動はFUELBAND。
睡眠はまだありませんが、暮らしに必須な事項に面白みや拘りが生まれると、なんか生きてることが楽しくなります。笑

単純かもしれませんが。



すんげー納豆美味い!


納豆!
納豆!
納豆!


げへへー!

2014年3月15日土曜日

communication。

活発で、刺激的で、ユーモラスで、創造的で、精力的で、愉快で。

そんな楽しいひとときを過ごすのに必要なものは、「快活なコミュニケーション」であると、今更ながらに自覚した。


「自然体であること」と「快活なコミュニケーション」を繰り出すこと程、暮らしにおいて『豊かさ』を生み出す術においてbestなことはないんじゃないかって、もの凄く最近思う。


きっかけは職場だったりして。

対人関係において、当たり前のことではあるが
より良い人間関係を築けている人に対してと、そうではない人に対してとでは、
例えば対象が同じ失敗をしたら、確実に周りは前者に対してフォローかユーモア、最低でも指導またはアドバイスでコミュニケーションを図ったりする。
それが後者では、指導以上の叱責か、または事が済んでも人間関係に歪みを生んだり悪い噂となって対象の評価を落としたりする。

とても当たり前なことだと思うが、もし自分が前向きな精神の持ち主だと自負しているならば、そのことを発信して、より良いものを残す為にどうしたら良いかなど、周囲にも感化しながらお互いのことを知り合い、例えるなら石がぶつかり合って研磨し合うが如くよりシンプルで美しい形に物事が進んで行くと思う。

しかし、良いコミュニケーションを生んでいない場合、それは研磨でなくただ『破壊』。

どこまでぶつかれば良いのか、どの程度で壊れて、どの程度なら研磨されるのか。
心を閉ざして不貞るような人だったり、相手を思いやる心を見失ってる状態であれば、簡単なミスでも必要以上に悪く思われたりする。


最近は凄くそのことが顕著に身の回りで起こっているため、コミュケーションてこんなに大事なことなんだねって備忘録を兼ねて記録するに至った。


自然体な自分を知ってもらうためにコミュニケーションを図る。
それも積極的な視点で、そして快活に。

きっと心を閉ざす人は弱さから着込んで自然体をさらけ出せず、自分の思う方向に相手を促すためにダークになって、でも自然じゃないからどんどんダークになって。
コミュニケーションの取り方もわからなくなってふさぎ込んで。
そんな負のスパイラルから中々抜け出せずに独りで四苦八苦してるんじゃないだろうか。

自分もそんな気があったから、そんなふうに勝手に思ったりしてる。



「自然帯」と「コミュニケーション」。
きっとこの二つはお互いが相乗効果でより気持ちを高めていけるものだと思ってる。
コミュニケーションを取るからより良い人間関係が築けて、楽しいから自分をさらけ出すことが出来る。
そのお陰で自然体でいれるからより良いコミュニケーションが生まれる。


そんなスパイラルが生まれたらきっと楽しい。


自分の暮らしをシンプルに例えたり、「これをしよう」ってひとつずつ決めていくことって楽しいんだな。

そう思う今日この頃。

コミュニケーションに関して思うお話でした。

2014年3月5日水曜日

Natural。

ナチュラル

【意味】
・自然のままの
・生まれつきの
・天性の
・気取らないさま
・普段とかわらないさま
・飾らないさま



大変個人的な話なんだけど、自分が思う『人の魅力』について最近感じたことがあるので書いとこうと思う。

生まれてこの方、自分の対【ひと】における[好み]に関して、これだという把握をしたことがなかった。
ピンと来る言葉が無かったから、例えば好きな女性の[好み]を聞かれれば、なんとなく
「粋な人」、と応えていた。笑
ま、どうでも良い話なんですけど。

で、じゃ「粋」って何よと聞かれても、上手く答えることが出来ず。
自分がどう在りたいか、どんな人に魅力を感じて、どんな人を自分は目指すのか。
具体的な指針など無いし、人に出会うことで手本にしていくのかなぁと漠然と思ってきたけど、こないだ自分が何に魅力を感じるのかを知るキッカケがあったので書いとく。



冒頭にも書いてるけど、「自然体」な人に一番魅力を感じていることに気がついた。
飾らない、気取らない、混ざり気の無い生粋なさま。
つまり、「粋」。笑


大好きなミスチルの桜井氏や、今まで好きになった人。
皆ナチュラル。
大好きな祖母も。笑

ナチュラル故に、生まれ持った強さを他人が感じ取る。
そこに安心するし、揺るぎないものを感じ取る。
だって、もともと自然なわけだから。
素直って言っても良いね。
弱さを認める強さや、他人を安心させること。

三つ子の魂百まで、と言うけれど、幼い頃に築き上げた他人からこう見られたいという自己評価。
それが高かった人ほど、理想に遠い自分を見た時に精神のバランスが崩れてしまったり。
だからこそ、他人の評価だとか、ある意味『自己』にとらわれない自己を持った、自然のままの人が、凄く魅力を放って見えるんだと勝手に思う。

弱さや自信の無さが自分を飾り付け、強さや魅力から程遠いものに自分を仕立てる。
強いから自然体なのではなくて、自然体だからこそそこに拘らない揺るぎないものになるのだと思う。
だから、強く見えるし、魅力的に映る。

気がする。。


表現し辛いし、読む人も鬱陶しいかもしれませんが…

趣味や好みや目標や性格。
その全ての裏付けが、取れた気がして。

バラバラに散らばった何かに、規則性を見つけた時の嬉しさを感じ取ったような気がした。



自分がどうすれば一番ナチュラルでいられるのか。
頭で考えるというよりは感じ取るってのが近いけど、そういう状態を覚えておくと、何かここ一番て時に強みになると思った。
視界も、見え方も、今までとはまた違ったものが広がる系。


長年探してたものだと思う。
目指してたものは、実は最初から備わってた的な。
弱さゆえに着込み続けて、どんどん視えなくなってたけれども、実は誰もが見失ってるだけで。

いつも感じてた『違和感』の正体は、そういうことだったのかもしれない。

やっぱ、心って不思議。
最初から答えは自分が握ってて、答えを握ってるからこそ、道を踏み違えた時に『違和感』として警告したり、精神的な病気みたいな形となって現れてくる。

やっぱ、心の奥から聞こえてくる些細な声に、耳を傾けることって大事なんだなと思う。



出来るだけ心静かに。
自分の中の一番自然な部分はどこか、いつもそこに居座り続けたい。笑



そんなお話でした。


2014年2月22日土曜日

神経を休める。

深い睡眠や何時間も連続して眠ることに憧れがあります。

職業柄もあるんでしょうけど、一度起きたらなかなか二度寝することが出来ない体質です。
昔はそうでもなかったけど。

添い寝してるiPhoneを開けばすぐに世界と繋がり、欲しい情報は手中に簡単に手に入る世の中。
仕事、プライベート、世の中の情報。

刺激の多い時代に、神経が休まって安眠することなど、ここ数年まじにしてない気がします。


そんな中、めっちゃ神経リラックスして眠気を催す方法を自分の中で編み出しました!

それは。。

睡眠前の入浴。笑


ただ、入浴するだけでなく、そのあとに身体を冷やします。


これが非常に効く!


体温上げて自律神経に刺激を与えた後、身体を冷やすことでそれが一気に休暇モードに。
身体の重みと、休まった神経が奏でる眠気のオーケストラ♪

効果絶大で、ここ数年まとまった睡眠時間は3時間とかであとはちょいちょい眠れる時に眠るって感じだったのが、この方法で5時間近くまとめて眠ることに成功しました。


そして、なんとダイエット効果も有りとみた。笑


これやってるだけで体重2キロ落ちました。

やっぱ、肥満と睡眠には深い関係があるようですな。。


最近は『睡眠』にとても興味がありますw


人生の2/3はベッドで過ごすと聞いたことがあります。
1/3だっけ?
まあ大半をベッドで過ごすようです。


より質の高い睡眠を取れるよう、日々研究していきたい。

でわ。

2014年2月18日火曜日

iPhone5s。

本日、と言いますかBlog書いてるのが日を跨いで今日になってますので昨日!

SoftBankに行って参りました。

iPhone4Sのローンが終わったのを確認しましたので、待ってましたとばかりに乗り換えをして参りましたよ。



iPhone5s。

ゴールドモデル、64GBです。

ついに現行機種に乗り換えました。

やっぱ買っちまった。




touch IDが予想通り破壊力抜群です。


晴れてiPhone5シルバーの方はQX10専用となりました。


iPhone5sにするメリット。
①カメラの高性能化(夜景撮影が凄く良くなった+スローモーション)
②touchID(ほぼ自分しか扱うことの出来ないセキュリティー+Apple系の買い物の時にパスワードを入力する必要がなくなった)
③バッテリー耐久の長時間化

ほぼtouchIDにやられました。
iPhone4sの時はSiriにやられ、iPhone5の時はLTE対応にやられ(まぁ当時iPhone4s壊れたからが大きいですが)。
今回のiPhone5sは今まで一番欲しいiPhoneとなってました。


仕事にも役立っているので、決して無駄な買い物なわけではないのですが、安い買い物ではないので、結構今回は悩みました。

でも、せっかくtouchID搭載してるので、容量大きいiPhoneでないとあまり買い替える意味ないなと思い、念願の64GB。

買って速攻目に付いたのが、背面に一点だけ付いている傷。
これどうよーw
テンションがっつり下がります。
SoftBankに行ったものの、Apple基準ですので取替ようないです、とか。
疲れてたから思わず了解したものの、それって客には関係なくない?的な。笑

明日、アップルストアに電話しようと思う。笑
だって、嫌だもん!
iPhoneの背面に最初っから傷入ってるのなんて!

夜景を撮る性能が大幅にUPしております。

これはヤバい!


では、備忘録でした。

2014年2月17日月曜日

一眼。

iPhoneと連携して一眼ライクな様相を呈するSONYのレンズ。

その名も『QX10』と『QX100』。



『QX10』の方をゲットしました!


一眼の定義っていまいち分かんないけど、これをiPhoneに装着すれば、まるで一眼レフカメラのような見た目になります。
投影レンズと内部反射の鏡と、デジタル変換。
定義はクリアしてる気がするので、よくわかんないけど、個人的に一眼と呼ばせて頂きます!笑

つまり、初一眼デビューは『QX10』てことで♪

画素数はiPhoneの2倍強。
光を取り込む量も多いみたい。

はっきり言って、この程度の知識ですw

すみませんね。


一眼買うお金はないけど、カメラに少しだけ興味あり。
そしてガジェット大好きな人。
そんなあなたにお薦めの、カメラ初心者用向けデジカメってとこでしょうか。




カメラ男子を気取ってみました。

画質、F値?総合して『QX100』のほうが好みだし、欲しかったけど、唯一iPhoneと色合いが合う『QX10』ホワイトモデルが欲しかったのもあって、値段も相まって『QX100』は諦めました。
でもいつか。。

世の中面白いガジェットは増えていくもんですねー。


今後は、このBlogも『QX10』で撮影したものをUPしていきたいと思います。



iPhoneよりもパワーUPしたカメラの威力、フルに活用していきたい。

2014年1月22日水曜日

Beautiful Day。



ただいま、実家。

先日より東北の実家に帰省しております。


関東地区に移住して約10年。

関東平野では味わうことの出来ない雄大な山々と、高地ならではの空が近い環境。
絶景が常に横たわっている環境に生まれて、そして育ってきたことを、そして故郷が今でもそこにあるっちゅーことに絶大な安心感を抱いております。

この家に生まれて良かった。

そう思わせてくれる家族に迎えられて、なんとも平穏な長期休暇がスタートしました。笑


大抵は休みがスタートしてから4日間くらい経たないと休みモードに切り替わらない気持ちも、今回は仕事もうまくいってるお陰か、区切りの良い感じで帰省出来て、
休暇初日から「今めっちゃ実家だぁ。。」なんて思ってのんびりしております。


奇麗なものを観て、美味しいものを食べて、話したいことを喋って、書きたいものを書いて。

子供の頃はそんなことが当たり前と思って過ごしてましたが、不足しがちなそういったものを我慢することに慣れた今、ストレスという外圧が何者なのかを探る毎日。
腹に据えた固くなった「何か」が、この土地に居ることで、聞き慣れた訛りと家族にほだされて柔らかくなっていくことを感じてます。

なんか分かりづらく書いてますけど、今めっちゃリラックスしてるなぁ、なんてことが言いたいわけで。



家族構成は4人で。
祖母と父と兄と私。

4人で騒がしく暮らしてた昔を懐かしみます。


計算とか計略だとか、裏切りとか疑心暗鬼だとか、不必要な先読みが必要な毎日よりも、誰もが味方なあの頃が今でも心の礎になってます。
そんでそういった黒いものも、全て勘違いかもねって思える安息を、深呼吸するみたいに補給して、少しずつ持ち帰って、10年掛けて築いてきた今の自分。


色んなことがありましたが、心の取捨選択を経て今に至るこの穏やかな気持ちは、本当奇跡に近いよなぁなんて、良い手本が身近にたくさん居てくれて良かったと思います。

同じ人はいない

心の取捨選択はホント微細な機微で変わってくると思うから、自分が得た今と、そんで心から好きな人達との縁はマジで人生の宝物と思って暮らしてます。

今繋がってるあの人は、ちょっとしたことの連続で築き上げた人格であって、ピッタリ自分と合致するような(相性)奇跡に出会えているならば、それ自体とてもラッキーなことだと思うから。


まるで音楽の趣味が全く同じ人を探すかの如く、凄まじい可能性の上で。
それより難しいか。笑



ゆっくり思いつくままに綴りたかっただけ。
こういう穏やかな時間に、悦に浸る自分だけの文を残して、眠くなったら眠りに就く。


あー…、最高に休日。






2014年1月14日火曜日

くるみ。

生きてる年数の分だけ、出会いと別れの数は増えて

別れがくる度に、その出会いに新しい「意味」が生まれてきたように思います。
思い入れがあればある程に。


新しい「意味」を持った別れが、また訪れました。
会社で一番気の合ってた後輩が、諸事情で退社することに。

これで縁が途切れるわけでもないけれど、寂しさは否めないわけで。

馬鹿話で笑い合うことや、同一の上司に対する不満をぶつけ合うことも、下世話な話で盛り上がることも、これからないのかーって、ふと考えた時、
こいつの代わりになる奴は現れるかなー、なんて思いました。

でも、現れるわけはないわけで。

そうそう気の合う友人に出会えるなんてことは、人生の中でもそんなないと思ってます。
友人に限らず。恋人や恩師、それこそ好きなアーティストだとか。

『心底認める』ってことは、人生の中で最もドラマティックなことだと思ってます。
心の芯をさらけ出すことって、結構難しいことだと思うから。

そこには『信頼』があることだから。



大好きなミスチルの歌に、くるみって曲があります。


これから訪れるであろう『来る未来』、君から見れば「今」の僕たちはどう写るの?
希望の数だけ失望は増えて、出会いの数だけ別れは増えて。
それでも明日に向けて歩んでいかないといけない、諸行無常。
みたいなw


ほんと、寂しさは心の栄養になると思う。

出会いと別れに関して言えば、それこそが人に「深み」を与えてくれる物語であって、自分の中で大きな「意味」を持っていればいるほど、そのパワーは計り知れないと思う。

悲しくはないし、切なさもないけれど、それを繰り返してきた今までに、こみ上げてくるものはあります。


今夜はその宴を開くけど、いつものように悪態ついてさらっと送り出したい気持ち。


人を成長させる、「別れ」について、考えてみた。
でも、それって「出会い」があってのこと。

これまでの「出会い」と物語に、感謝。
そして、これからの物語に幸多からんことを。


あー麺、食いたい。

おやすみ。