2013年7月29日月曜日

働きマン。

現代社会で働いてる人の誰しもが、「人間関係」という問題に一度はぶつかっているだろうと思う。
一度とは言わず、何度でも。

確かに、上手に円滑に、仕事を進めていく上でも「人間関係」はとても重要なことだし、自分の精神衛生上もとても大切なことと思う。
でも、必要以上にそれを求めていると、それはただの「馴れ合い」でしかなくなってきて、本来自分が行うべき『仕事』の本質を見失ってしまう可能性を秘めた要素となるであろうことも、共に危惧すべきだと思う。

自分の「仕事」とは何なのか。
何を全うすべきなのか。
時にそれはシビアであったり、他人から陰口や避難を浴びながらも「仕事」を遂行しなければいけないような状況に立つ時は、社会人なら誰しもが経験あるんではないだろうか。
「仕事」に熱くなりたい。
全体像を把握して、次から次へとやるべきことが頭に浮かんできて、手や頭は休むことなくフル回転で状況終了に向かって突き進む。

そんな風に熱くなれる時間は、ハッキシ言って『面白い』。
「仕事」って、本来『面白い』からやれることであるとも思ってる。
綺麗事ばかりではないが。

ただ、その【本質】がどこにあるのかだけは、自分の仕事の【本質】を見失わないでいるってことが本当に大切なことなのかもしれないと、最近よく思う。

接客業であれば、お客様の満足。
時間制限やコスパがあっても、そこに尽きるだろう。
例えば、凝りをほぐしに行って、時間制限で身体が充分にほぐれないままサービスが終わったところで、誰がそこに二度行きたいと願うだろう?
接客する側が「時間ですから」みたいな気持ちで仕事していたら、決まりは守ってるかもしれないが、本来の「仕事」の本質から離れたところでしごとしてることになるだろう。

終業時間内を規則通りに動いていれば良い。
その通りだと思うけど、でも、それだけじゃないと思う。

他者からの色んな意識を正々堂々受け止めて、自分自身と葛藤して、それで誰が満足するんだろうか。
全うすべき【本質】を貫くことのほうが、よっぽど刺激的で面白いと思う。
少数でも、それを提示してくれる先輩や上司、後輩がいたらそこに何も感じないで良いわけが無いと思う。

社会人を何年も経験して、上手に生きてきたつもり(実際思ってないけど)でいる自分の中に、熱くなりたいとどこかで願ってる自分がいることを、くぐもらせる視界や胸くその悪さが証明してる。



とにかく!
もっと仕事に熱くなりたい。
実力不足や経験不足に二の足踏むけれど、そう心から糞願ってる。
不完全燃焼なんてほんと真っ平だし、本質を全うして熱い時間を過ごした時のあの爽快感を、毎日感じていたい。
こんな風に思うってことは、やっぱ堕落した相応な仕事しかしてなかった証明だと思う。

スケールは違っても、やっぱ『世界を変える』ような仕事をしたいと思う。
まずは自分の世界を変えていく為にも、日和った行動は取らないように自分に戒めたい。
他人の前にまず自分に厳しくなければいかんと、【働きマン】て漫画を読んで思い返した。笑

地でそれやってる上司が身近にいることを、ラッキーだったと思いたい。
誰しも完璧な人間などいない。
他人を非難する権利など、自分のどこにあるというんだろうか。
仕事の出来る出来ない、性格の不一致、良い悪いはあるけれど、それを非難したり言及する権利など、自分だけでなく誰一人にもそんなものは存在しないんだよな。

全うすべきことは何なのか。
自分の仕事の本質はなんなのか。
それが分かってれば熱くなることなんて思ってるより簡単なのだと思う。

いやいや、熱くなることよりも、本質を貫きたいだけなのだ。
日和った自分を戒める日記なのだった。

あじゃぱー!


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