2013年6月27日木曜日

PARADISE。

日がな一日、壁と寄り添って。
陰鬱な気持ちのまま孤独に苛まれたりして
続く限りの眠りに一日中溺れていたり。

そんな日々を送ったこともあったかと思う。

家族や友人、地元を離れて暮らしていて身に染みたことがひとつ。
人を変えることが出来るのは人だけだということ。

どんなに嫌気がさして人に躓いたりしても、起き上がらない理由を人のせいにしてはいけないと思う。
転んだのは誰かのせいでも、起き上がるかどうかは自分次第だから。



ルーティーンで変わっていく人もいるんだろうけど、自分自身に日々大きな変化をもたらすくらいの突貫力やチャレンジ精神を持ち続けることは凄く大切なことだと思う。
いくら人より優れていたところがあったって、結局のところ納得するのは自分だから。
昨日の自分より今日の自分、去年の自分より今の自分、て納得出来なきゃ本当の自分を見失ってしまう。

「痛いのは生きているから 転んだのは歩いたから 迷っているのは前に進みたいから 逃げ出したいのは闘っているから」

どこかで拾った言葉だけど、歳老いて昔ほど苦悩しなくなったのは、ちょっと日和ってまったからかなとも思うけど。
普通に暮らしてても逃げ出したくなる時なんて山ほどあるし、毎日転んでもいるけど、こうやって少しずつでも前進しようと思える心を養ってくれた家族や環境に感謝したい。

自分が今立ってる位置は、思ってたほど悪い位置でもないみたいだから。
本当にそうかはあとになってみないと分からないけれど。


仕事や家族、日々に忙殺されたらこんなこと考える暇すらなくなるんだろうけど。


自分が何歳の時に、こんなことを考えていたんだなって、残すのも悪くはない気がする。



頑固なとこはないと思ってた節もあるけど、自分の頭の中なんて自分だけのちっさな道徳の中でしか生きてなくて、他人の思考に絶大なインパクトを与えられて変わっていく自分と出会えた時は嬉しい。
正義の反対は別の正義。

誰しもが「自分の道徳に従ってる」だけだと思うから。


甘さも罪も、道理も理不尽も
凸凹が一致するようなパートナーと出会える時があったなら、それはとても幸運なことと思う。
そして、人を変えることが出来るのは人だけってのは、それを実感するまで気付けなかったこと。
それはつまり、今までなかなか人を認めることが出来なかったからかなと思う。
自分が心から認めた人との繋がりが、本当の意味で自分自身を変えて影響していくことと思うから。
良いにしろ悪いにしろ、そういった出会いは本当に大切にすべきことだなと思います。

こういうこと書く俺ってホント暇だなーって呆れるけれど、こうやって逃げに走んないと頭パンクするくらいやること多すぎる。
仕事も遅遅として進まない。

逃げたいのは闘ってるからだよね、うん。
なんか偉そうだし痛い日記になってしまった。

2013年6月20日木曜日

FaceTime。

いくつもiOSデバイスを所有する私ですが、ただ無駄に何台ものiPodやらiPadやらを所有しているわけではありません。

仕事で使えるようにすべく実機テストの為に購入していたり、古くなったiPod touchは家族に分け与えたていたりなど、自分以外の人にAppleの恩恵をお裾分けしているわけであります。

そんな自分が、以前から計画しているのが
「FaceTime」計画。

家族間や友人間で、いつでも顔を観ながら且つ大画面で近況を報告し合うというこの計画。
順調に進んでおります。
なにせお金が掛かることなので、時間は掛かっておりますが。


まず、兄に第四世代iPod touch(黒16GB…新品)。
実家に同じく第四世代iPod touch(白32GB…これは自分の中古)そしてAppleTV。
親戚のお姉さんにiPad mini(白32GB…これも自分の中古)そんでAppleTV。
これだけのiOSデバイスを現在振る舞っております。
その甲斐あって、家族みんながAppleの恩恵に授かっており、狙い通り大画面でのFaceTimeでまるでAppleのCMのように最高のコミュケーションを取ることが出来ている状態でございます。

AppleTVがあれば液晶テレビで大迫力のFaceTimeをすることが出来、遠い地でもまるでそこにいるかの如く近況を報告し合えるのです。
その他にもAppleTVがあればTSUTAYAとかに行かなくても映画が観れたりするしね。

自分だけに限っては、車にもAppleTV搭載しているので、移動しながら映画を観たり車内でFaceTimeする際に車のスピーカーから音声が、ナビには映像がって感じにかなり近未来の仕様になっているのでありますが。
これはかなり自己満足且つ自慢なんですけどね!


これだけAppleに投資してる20代の個人ユーザーはそんなに居ないんではないか?ってくらい金をつぎ込んでます。



FaceTimeからはちょっと脱線しますが、自分にとってiOSデバイスは何かと言いますと、
電話やメール、コミュケーションツールとしての道具からはちょっとかけ離れたところに自分の中で位置づけしております。
私生活を記録するツールとしてや、自分の運動量の管理、買い物やパスツール、人と人とを繋ぐコミュニケーションは勿論のこと、ゲームをしたり、勉強をしたり本を読んだり。
そして音楽を聴いたり奏でたり。仕事の予定を組んだり仕事で活用したり。
本当に色んなことをiOSデバイスで実行しております。
例えば、16GBのiOSを買う人も沢山います。
でも、自分は絶対32GB以下のiOSデバイスは決して買いません。
なぜか?
容量の大きさ=時間の短縮
だと思うからです。

ここまで色んなことをするとなると、Macから曲を選択したり入れるアプリを選んだりなど、その都度選択作業をするのは割と手間になります。

それが容量が大きいというだけでその手間が省けるので、結局16GBよりも大きな容量分の時間を、買っているのと同意義なわけであります。



こうまで所有欲を観たし、円滑なコミュニケーションを図ることが出来、貰った人が皆笑顔になる製品てほかにあるだろうか。笑
Apple大好きなだけかもしれませんが、好きが講じて私生活や仕事に新しい成果を生むことが出来て、私は最高にハッピーでございます。


単なる思考の手助けを超えて、自分そのもののように、カスタマイズしていくことそのものが楽しくて仕方在りません。


これって、例えばゲームの中でシステムに沿って色んなことをカスタマイズしていく楽しさに似ているw
それがそのままリアルな自分の生活になっているかのような。笑
それを知人友人家族が同じようにすることで、まるでそのゲームの中で仲間が増えていく、そんな風にiOSデバイスを自分の中で位置づけしている気がします。


別に無くても生きていけるし楽しい人生を歩むことも出来るけどね。
道具に使われるのではなく、在るのだから十二分に楽しく使わせて貰ってるだけ、、と断固主張しますw

つーか、それで仕事で評価されて、家族や友人とのコミュケーションもより良いものになっているのだから、実質凄く役立っているからマイナスの道具ではないのは間違いないんだけどね。


長くなりましたが、FaceTime計画のことや自分の中でのiOSデバイスの位置づけを綴る日記でした。


Appleには今後ともますますのイノベーションを起こし続けていって貰いたいものです。



自分が今使ってるiPad2もそろそろ買い替え時かなと思っております。
早く次期iPadをこの手にしたいです。

そうしたらiPad2どうしようかな。。
凄く愛用してきたので、あげるのもちょっと勿体ないな、、



ご利用は計画的に!

COME ALIVE。

父親が入院しての帰省。
何かと心配ごとを抱えつつ、親戚にお世話になりながら怒濤の滞在期間になりました。

過疎化が進む地元で、我々兄弟も他県へ移住し地元に残した家族のことやこれからのことを漠然と考えるような毎日を送っていましたが、今回の帰省で色んなことを明確なビジョンとして考えたり見据えたりすることが出来るようになりました。

一番頼りにならなきゃいけない筈の息子や孫としての自分たちよりも、「こっちのことは心配すんな、しっかり面倒なら見てるから」という親戚たちの思いやりの深さに、自分は今までなんて些細なことや自分のことにばかり気が取られ過ぎていたんだろうかと、情けなく思いました。

何より、自分の周りにはこんなにも人情や家族愛を大切にしている人達がいることの存在にこの歳になって改めて気付いたりして。
とても嬉しく思ったり、充足感や将来への希望など、自分がこれからの一族の礎になっていかなきゃなって気持ちが静かに湧いてきて、自分に足りてなかったものが少し分かった気がしてます。

いつまでも子供じゃない。
親や祖母に甘えてばかりじゃなくて、強く頼りがいのある「これからの人」になっていかなきゃならないって、自負ではなくそう在りたいって気持ちでいっぱいになった。
愛情を与えてくれた祖母や、色んな遊びを教えてくれた父。
そしてこうやって支え合っていくものだよって手本を見せてくれる親戚の姉さん達。
凄く!すごーく、力や勇気が漲ってくる面持ちでございます。


祖母のことが凄く大好きで、昔からべったりでとても愛しています。
一族の強さって、こうゆう祖母や一族きっての長老達のパワーが若いうちらを元気付けてくれてるからだと思っていて。
よく昔話を聴かされたり、色んな物語を繰り広げてくれるんだけども、そんな歴史の中に確実に自分達も加わっていて、あの時ああだったなーとか、あそこを覚えてるか?とか、尊敬する大好きな人達の物語の中に自分達がいれることがとても嬉しいことだなって、そう感じます。


家の中をひとりで大きく掃除していて、家中全部の窓を解放して、どこかしこを掃除していると、風呂場へと大きな風が吹き抜けていきます。
昔から聴いている音楽を鳴らして、その気持ちよさに心洗われながら、兄がいつか言っていた「何を優先するかと言われたら家族と答える」という言葉。
その気持ちをようやく自分の中でも全身で持てるようになったかな、なんて思ったりします。全然センチメンタルになんかならずに。一瞬だけw



地元は離れていても、生まれた時から育まれてきたこのSpiritやソウルを、いつでも失うことなく楽しく豪快に、心穏やかに大らかに、祖母や長老達のように元気にいつまでもいたい。
そして、これからの自分達よりも若い家族達にもこういった気持ちを湧き出させられるような手本を自分も見せられるように元気でいたい。


時代の担い手といえば少し大袈裟かもしれないけど、全然悲観しなくていいよ、うちらが貰ったパワーを、ちゃんと次世代に伝えていきまっせ!と、この胸に刻みました。



皆が健やかに。
それが一番の喜びだと思った。
豪快に笑う近しい人たちの声を、自分のバックグラウンドで鳴らし続けて生きたい。
それはとても、簡単なことだから。

この地とこの身体に流れる血と、近しい人たちの絆に、感謝。




仕事で犯された気持ちも、劣等感と闘ったりするのも良いけれど、そういうこっちゃねーだろうと!
何のために仕事をしているのか。
出世するため?
金持ちになるため?

NoNo。

楽しく暮らすため、それを忘れちゃ駄目だよね。
楽しく暮らすということは、家族のことや自分のこと、色んなことが充実して初めて
成せることだと思うから。

よく笑い、よく泣きよく怒り、よく笑ってよく見てよく寝る。
そんで食べればやったもんだ
いっぱつ勝負よっしゃ来ーい。

久々にウルフルズが聴きたくなりました。笑