2013年4月16日火曜日

ソフトテニスのボールさながら。

そりゃあ人間ですから、自分の能力を遺憾なく発揮出来なくて、落ち込む時もある。
それすらも自覚出来なくて、脳みそが全く働かない時だってあります。
誰だって、頭の回転フルのままで毎日は過ごせないものだと思います。


皆、そのタイミングがバラバラだから、すれ違いとか摩擦を生みたくなくても生んでしまうもの。
自分は、なるべくならそのことに気をやって、出来るだけ人に優しさを以て生きてたいと、最近思うようになってきた。

一番良いのは、自分自身がコンスタントに頭の柔らかい、物腰柔和な精神状態でいれること。

外部からのストレスや、被害妄想、時には痛みを伴う人間関係にさえ、自分自身を見失わないで柔らかくいれれば、少なくとも自分の導きたい方向からは目を反らさないで暮らしてけると、ちょっと思う。


夜勤とか特に、ふとパソコン弄る手を休めて物思いに耽る時がある。笑
夜の効果なんだろうけど。
何かに圧迫されたような、精神状態。
ストレスを感じてるなって自覚する時、それってまるでソフトテニスボールに圧力を掛けた状態のような感じかなって妄想してみたり。


ストレスを掛けた状態だと、本来もっと柔らかくて、ふわふわした自分の自由な発想や行動が起こせなくなる。
ちょうど上の写真のような、ソフトテニスボールのように。
圧力を掛けると、ほかの柔らかい場所が形を歪に変えたり、固くしてしまう。

こんな時、元の球体に戻そうと思っても、そう簡単なことじゃない。

自由な心や、凝り固まってない気持ちのまま、颯爽としていられるのは、簡単なことじゃないけれど、今の自分の状況を、何かに置き換えることは簡単に出来ると思う。

素直にまん丸い球体の、柔らかいボールの様な心かどうか自分に問いかけて。

そうでないなら、「あ、今自分の頭の中は圧力掛かって歪な形になってるんだな」って思えれば、なんとなく元の球体の柔らかいボールをイメージする。

自分の状態を把握することは、とても大事なことだと思う。

歪だから今上手くいかないんだな、とか、偏見だとか素直に人を視ることが出来ない時。

そんな時、歪んで変形した自分のボールを、柔らかて球体な様子をイメージしてなるべく心をそれに近づければ、なんちゅーか、ちょっとはストレスから解放される様な気がする。


処世術とはちょっと違うんだけど。笑

要らない負荷から解放される術として、こうやってイメージを活用することは良いことなんでないかいって、思います。w


なるべくフラットに。
出来るだけコンスタントに。
自然体且つストイックに。


自分の心の中に追い風を感じれるくらいには走ってたい。




こないだの夜勤、夜更けにそんなことを思ってみた。笑

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