2012年11月10日土曜日

ジッチャン

自分の育ての親は祖母ちゃんで、実家が床屋ということもあってか、幼い頃から色んな人に面倒を視てもらいながら育ちました。

祖母ちゃんの実の兄でもある、ジッチャン(本名不明、友人達からの通称は仙人)には、特に可愛がって貰ってました。

保育園の送り向かいはジッチャンのチャリンコの籠に乗って。
寝小便を掛けば、布団をジッチャンが運んで一緒に家まで帰ったり。
ジッチャンの孫の姉ちゃんや兄ちゃんにも可愛がってもらい、親戚の枠を越えて、皆して一番近い家族のような繋がりで今でもそれは変わらずに思ってます。

そのジッチャンも今年で95歳。

長寿の一族です。

兄と妹と、揃って床屋さん。

つい最近までバイクが交通手段で、チャリンコも健在。
だと思ってました。

1世紀近くも生きてると、やっぱ身体も思うようには動かないみたいで(当然かもしれないけど)、実家に帰る度に、老いの印象を禁じえません。
当然かもしんないけど。


こないだ、実家に電話した時に、ジッチャンが危篤状態という話を聞きました。

取り敢えず、山は越えたそうで、今は持ちこたえてるそうなので少し安心はしてますが。
でも、いずれ時間の問題で、迎えるべく時間は刻一刻と、無情だけど穏やかに、刻んでるみたいです。


老いれば必ず、迎える覚悟をしながら生きていくものなのかもしれません。
でも、その電話で聞いたのは、祖母ちゃんや家族が来た時に、涙を流したのだとか。
喋れないけれど、感情はそのまま。
肉体は衰えるかもしれないけれど、心や感情は、ひょっとしたらずっと輝き続けてるものなのかもしれないなって。


誰だって死を受け入れて生きるということは、しんどいことだと思います。
自分がもし、今のままで「死」と隣り合うことがあったら、まともでいれるか疑問です。

100年近く生きてるうちに、ゆったりと受け入れていくものなのかもしれませんが、やっぱ、老いた今も尚、近しい人達を視て涙を流すということは、それって今の自分も老いたジッチャンも、そんなに心境的には違いはないのかもしれないな、なんて思いました。

充分生きただろう、とか、ただ受け入れるだけの他人事ではいられず、涙したって話を聞いた時に浮かんだ想いは、『可哀想』。
今自分はまだ若いけれど、ジッチャンとの間にあるのは『年月』という隔たりだけ。

死にたくないという想いや、恐いと感じる想いは、きっと自分とそんなに違わないんじゃないだろうか(語弊はあるけど)。

そう思うと、同情もあるし、名残惜しい気持ちで一杯になるし、可哀想になってくる。
こういう時に涙は気付かぬうちに湧いてきて、人の人生の貴重さを噛み締めます。


人の心の中で生き続けるとか、忘れない限りは死なないとか、それとはまた違う次元でリアルな喪失感は、出来れば一生味わいたくはありません。

近い存在を亡くすということの悲しみを、本当の意味ではまだ味わったことはないのかもしれません。

考えたくもないけれど、親も、祖母ちゃんだって、いずれは兄弟も、そして自分も。
いつかはこの世から無くなって、新しい命の糧になっていくんでしょう。

でも、もしその時が来たら、きっとその気持ちを誰かに分かって貰いたい。
そんな風に思うんじゃないだろうか。
『人は最後まで孤独』という言葉もあるけれど、その気持ちに付き添える限り最後まで隣り合うことが、一番寂しくさせない方法なのかな、ってちょっと思いました。



あなたは1人じゃないよ、見守ってるよ。
ずっと忘れないよ。いつかの晩餐で、話のタネに上がって笑い合いながら思い出したりするよ。
あなたの育てた子供達や、可愛がった妹の孫達は、ジッチャンの存在感も人情も、面白さも繊細さも、受けた恩も与えられた愛情も、無くさないで暫く生きていくよ。

孤独や寂しさや名残惜しさは拭えないかもしれないけれど、ちゃんと想ってるから。

その時まで、思いっきり生きて下さい。


遠く離れた地より
文では伝わらない、真心と愛を込めて。



…いや、生きてるからこそね!

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