2012年11月29日木曜日

後続のあなたへ。笑

昨日の晩、赤ちゃんの頃から知ってる親戚の娘っこから相談の電話があって。

正直、子供な印象しかなかった彼女も、今年で19歳。笑
妹みたいな存在。
ウケるほどに無情に時は流れますw

相談とは他でもない、どうやら就職が決まったらしく、実家から通える範囲の職場にするか、それとも一人暮らしを強いられる距離の職場にするか、どっちにするか悩んでいるという。
それで、一人暮らし9年目に突入する私に意見を求めてきたというわけで。

話振りを聴く限り、どうやら彼女は一人暮らしがしたいけど家族の意見はそうでもないらしく、実家圏内にいても一人暮らしは可能だべしゃとのこと。

なんとなく、自分に枷を外して欲しいような、そんな印象を受けながら話を聞いてました。

自分の時は、ハッキリ言ってそういったしがらみ(って言ったら語弊があるんだけど)のようなものもなかったし、家族からの応援や理解もあったお陰で、こうやって遠い地で悠々自適に一人暮らしが出来てるわけだけど。
10年近くも時が経つと、親の話など、何かと問題(問題とは思ってないんだけど)も発生してくるようになります。
当時は、そんなことも考えずに、ただただ「ここではないどこか」に興味津々で、自分の新しい生活場所に夢ばっかり観てました。

それでも今まで何かと上手くやってきて、それなりに楽しい生活も送れているし、自分にとってとても大切だなって思える人間関係を築いてもきたし、一生掛けても出会えるかどうかわかんないくらいの(大袈裟かもしんないけど)大切な友人にも出会えたつもりだし、この地に1人でやってきて、他では味わえないくらいの掛け替えの無い経験を沢山してきた自負はあります。

一人暮らしをする上で、そんなに考え抜くような要素なんて、19歳ってゆー若さでは然程ない気もするし、むしろ考える力なんて皆無かなっても思います。笑
ただ、自分の人生を、身の回りの枷でやりたいことや可能性を狭めることなど、出来るだけして欲しくはないわけで。
それは、親や保護者の目線で考えると複雑だし、自分だけ良いってわけにはいかなくもなるとは思うけど。

けど、自分の場合、いつでも見本や手本は祖母ちゃんで。
いつも自分のことなど二の次で、子供(孫)の迷惑にならないように、枷にならないように、祖母ちゃんのことは心配しないで、自分の思うようにやりなさいって、昔から、思い出すとグッとこみ上げるものがある程、私や兄弟のことを考えてくれてました。
今でもそう。
90歳になっても、子供達の迷惑にならないように、死ぬ時はドン!っと逝きたいって言ってる程です。

…そんなことないのに。

自分はきっと、祖母ちゃんが帰ってきて欲しいって言ったらきっと、実家に帰るくらいの気持ちではいるつもりだし。
迷惑だなんて、1mmも、1nmも、1μmも思ってないです。
むしろ、ただただ祖母ちゃんを喜ばせるためだけに働いたって、良いかなっても思います。
実際は、結構難しくもあるんだけどさ。。苦笑

それくらいの気持ちや、感謝を、胸に抱いて生きてます。
なるたけ感謝や愛情を、伝えたい気持ちで一杯だけど、無性の愛を受けたい放題に受けて来て、それをどうやって還元しようか、祖母ちゃんの喜びに変えていけるかなぁって考えてもいる今日この頃。

きっと、少しでも伝われば良いほうなんだろうけど。



まぁ!その話は今はよくて、親戚の娘っこがそんなこんなで、一人暮らしについてのアドバイスを求めてきたわけです。


まぁ自分は、興味があるならすれば良いし、不安ならよせば良い。
それだけを伝えました。

家族の意見もあるけど、先輩として言えることはそれだけでした。
変に奇麗言も良いたくないし、正直な気持ちです。
1人だと、家族がいないストレスを体験するだろうし、いかに家族が自分の精神を安定させていたのかを、知ることにもなると思うし。
それと同じくらい、素敵なことや新しい出会いが訪れて、奇跡みたいな体験もすることもあるだろうし。
それを呼び寄せるのは、自分の行いや心がけ次第、そんで運やタイミングもありつつの出来事ばっかで、色んな意味で自立するんだろうなぁって。
彼女に対する期待も込めて、一人暮らし賛成派だってことを伝えましたよ♪


案の定、裏で動く親戚の姉ちゃんから、それを阻止する方向でアドバイスして!っていうメールもありましたけど。
ごめん、裏でって言ったら例え悪いよね。苦笑
それほど、可愛く思ってることはわかってるし、その気持ちや事情もある程度なら理解出来るけれど。
それには謝罪メールを入れつつ、姉ちゃんもやっぱ彼女を応援してる立場は同じなわけで。
やっぱ最後には彼女の意志を尊重するとのこと。


色んな思惑や事情、気持ちもあるけれど、やっぱ自分のしたいことをさせてあげるのが一番。
結局これしかないと思います。



10年、やってみたら、自分の伸び代や生き方も身に付くんじゃないだろうか。
自分はやっと、今になって仕事することの意味や生き甲斐みたいなのも見つけつつある程度ですが。

仕事に生きるわけでもなく、命掛けるほどのやりたいことがあるわけでもないけど、自分の気持ちには少しは素直に向き合えるようになってきたかなと思うし。
それはきっと、また家族と一緒に暮らし続けてたらどんな式を書いて、解を導いていたかわかんないしね。


長々と書きましたが、愛する親戚の娘の新たな門出を祝いつつ、この記事を締めくくりたいと思う。



苦難や苦悩、良い思い出も恥ずかしい想いも、悔やみながら悔やみながら。
誇りながら踏ん張りながら、この先を歩んで下さいな。


そんで自分だけの想いや考えを、いつか飲み交わす日が来たら良いね。


あ、ひとつだけ言っとくけど、俺酒弱いから、その辺考えといてね。


じゃ、またなんかあったらいつでも気軽に。



グッバイララバイ。
家族を大切に。

2012年11月27日火曜日

Mr.Children〔(an imitation)blood orange〕

待望のミスチルの新しいALBUMをゲットしてきました。




好きな曲や思い入れの深い曲、未だ聴いたことのない曲。
色んな曲が詰まった一枚ですが、今回は音楽的な側面と詩の深さや含みを持たせた表現の仕方が、いつもよりもより大きなテーマに準えているような印象がして。

庶民なミスチルを一歩踏み越えたところから出したような、自分の知ってるミスチルからは少し離れたところから出されたような印象を与えられています。笑

なんか、ジャケットもちょっと90年代を感じる造りだしw

あ、そうそう例えるなら子供の頃に兄貴世代とかが聴いてるような。
それをたまたま手にして、ちょっと大人びた気持ちになりながら聴いている。
そんな感じや雰囲気を醸し出している、、ような気がしてます。笑



 Marshmallow dayが一番の推し曲かなぁ、って思ってましたけど、なんか、そうでもないな。

駄曲が一曲もないー。


いつも思うんだけど、「新しいALBUM」を聴く時って、全体像が掴めてないから、いつもそれを探りながら聴いていて、耳に慣れるまでは暫く好奇心で味わっていて。
それが終わってからやっと、ALBUMとしての意味を自分なりに掴んでいって、そんで一曲一曲の良さを自分なりにわかっていく。
そんでやっと一枚通して聴いて、やっと「新しいALBUM」が「お気に入り」に変化していく。


今はまだ今回のALBUMの全体像は全然わかってなくて。
どんな一枚なのか、どんな気持ちや思い出をこの一枚と一緒に刻んでいくのか。
ワクワクとドキドキと、嫌な印象は持ちたくないなぁって気持ちや安っぽい一枚になって欲しくないって願いと。笑

つまるところ、このALBUMにはとても期待しているということでw


たかが一枚のCDですけど、「お気に入り」になれるかどうかってのは結構自分にはデカイことでして。

音楽好きには音楽好きとでしか分かり合えない感覚ではあると思うけど、一枚を深く味わえていけるってことの幸せは、そう滅多に味わえることではないので、数少ないいつも予想の斜め上をいってくれるアーティストやバンドであるミスチルを、今回もゆっくり堪能してきたいと思います♪


チューインガムの味のように、消えてなくなったりしないでよ?


笑。





2012年11月26日月曜日

NORTH FACE。

今日は今年の冬物の服を買いに千葉県のららぽーとに行ってきました。

ここ2年くらいは新しい冬服を買ってなかった気がするので、奮発して良いものを買おうと思いまして。
奮発してきましたよ。


ちょっと部屋汚くて申し訳ないですけど。

NORTH FACEのアウターでございます。


35000円!!
高過ぎ!


なんでこんな高いんですか?
って思わず店員さんに聞いてみたところ、どうやら世界最高級品質の羽毛と、表面は超細い頑丈な糸を使っているため、かなり長持ちする素材をフル活用しているから、、とのことでした。

ふーん。まぁ、NORTH FACEのちょっと良いアウターは欲しかったし、この際奮発してみようってことで、手を震わせながら購入に踏み切りました。


着てみると、、成る程、確かに。
超暖かいし、なのにスーパー軽い。
そして洒落ている。

と、自分に言い聞かせております。

お気に入りの一品になること必至。



で、ついでにお気に入りのiPhoneを収めるポーチも一緒に買いました。
こちらは2000円。

NORTH FACEの色合いがとても好きです。




そして今夜も兄貴家族とFaceTime!


やっぱこれ、良いなぁ♪




実家では、祖母が補聴器を欲しがっているご様子。

今年は結構父親や姪っ子様にお金を投資したので(実家にAppleTVとiPhone4sを今後贈る予定なので、それも含めて)、補聴器は兄貴に任せたいと思います。


今しかないこの時、後悔のないように自分への投資は二の次で、家族が満たされるお金の使い方をしたいって、普段から思ってます。

まぁ、今回の服の買い物は別として。苦笑

積み立て貯金は結構貯まってきてはいるものの、プライベートでいつでも下ろせる貯金は割りかしレッドゾーンぎりぎりな管理。

来年はその辺りも堅実に貯めていかないとなぁ。


日を追うごとに、自分の年齢の重みと、責任や自己管理能力などを見直すことが多くなってきた昨今。



早く兄貴夫婦に追いついて、落ち着いた生活をしたいものだ。笑


消費の暮らしから、蓄える暮らしに、シフトチェンジのタイミングを感じております。



では。

2012年11月21日水曜日

LIFE = LIVE。

今年のミスチルの新譜アルバムは、個人的に凄い気になってる♪笑

耳に残る聴き心地の良いフレーズに、完成度の高い歌詞
言葉にするのも野暮なくらいに、心地が良い歌が多いッス。

『自分はこうしたいと思ってる、自分の理想とする気持ちはこう!』
ずっと笑ってたいとか、より良い関係をずっと願ってるって気持ちがあれば、例え何があっても乗り越えていけるよねって。
そこに他人は関係なくて、俺は笑ってたいよ!
って、自分の芯を見つける標にもなってくれたり、色んなことに気付かせてくれるミスチルの歌はいつも何かを自分に与えてくれます。
そもそも、歌ってて気持ち良いしね。


生きてるうちはきっと、その真理を求めたり、自分の生きてる意味とか価値を、誰でも手探りで暮らしていくものなんだと勝手に思ってます(めんどくさい人間と思われてもね苦笑)。
その先を照らすライトみたいな存在は、人によってマチマチだと思います。
たまたま自分にとってはそれが歌だったり、身近な人だったり、するわけだけど、ミスチルはそこに手を添えて『間違いなんて無いから、信念を忘れないで』ってちょっと応援してくれてる様な気がしてます。

都合の良いように捉えてるだけかもしんないけど、そう思えるなら別に信じたって良いと思うしね。笑
照れくさい様なことでも、そう思ってることは事実だから、それは自分の気持ちとして、ちょっとは大切にしないとね。
自分の理想を、たまに訪れるダメな感情に飲み込まれてちゃ何も変わんないってことを、自分の気持ちと信念を胸に刻めたような、そんな一年だったと思います。
まだ2012年は終わってないけど、このまま年末まで駆け抜けていけたら最高だなぁ。

最高の一年だったって、人生を振り返った時にそう思えるような、そんな年に。
2012年を最高に胸に刻み込んでいきたいです。

色んな人に迷惑を掛けたし、嫌な気持ちにさせたり、色々反省もあるけれど、これをこの気持ちを与えてくれた、全ての近しい人達に、心から感謝を送れるような心持ちを、きっと忘れないで全力で目の前のことに没頭していきたいと思います。

2012年はそんな年。
何度も言うけどね。笑



そうそう、桜井さんが言ってましたね。
『LIVEとは、人生に命を与える点と点 ひとつが僕で、ひとつがあなた』

ライフ = ライブ  

ライブの「ブ」この二つの点、つまり濁点のことだそうです。笑


ほんと、上手いこと言うよね。



洗顔料とアイボン買いに行かなきゃ!




Marshmallow day。

ミスチルの新曲、『Marshmallow day』が久しぶりに自分の中で大ヒットです♪

自分の中で、プラスのパワーだけが遠慮なくブッ飛んで行けるようなメロディーに合わせて、次第に引き込まれていくような、それでいて常に自然に隣り合わせていけるような詩。

超共感出来る想いの連続。笑


何一つ不自由のない暮らしに溶け込んでいって、誰かと接する時にもどっかで鳴ってるような、そんな歌です。

…ちょっと抽象的。


でも、なんか聴いてるとプラスが滲み出してくるような、そんな一曲です。



Marshmallow dayが、どんな一日を意味しているのか、なぜマシュマロなのか、それはよく分かんないけど、いつか分かる日が来るんだろうか。笑

ただ、凄く心地良く聴き入れる曲で、ずっと、歌の中のそれぞれのフレーズが、頭の中でこだましてます♪




自分を見失うような時でも、何かに魅入ってしまうような時でも、他に何かする事があるような時でも。
このメロディーラインを頭の中で鳴らすことが出来たら、ずっと爽やかに暮らしてけるのかなぁ。
なんつって。笑



正にこんな気持ちでいれたら、素敵なんでしょうね。

忘れちゃいけないことを、注意深くそして優しく、Marshmallow dayで歌ってるみたいにチューインガムを噛み締めるようにちゃんと味わって日々を暮らしてきたいッスね!



早くアルバムが聴きたい!笑


2012年11月20日火曜日

エヴァンゲリオン新劇場版Q。

を観てきました。


前作からどんくらい経ったんだろうか?

前作がとても面白かったので、期待して映画館へ。



…感想は、相変わらずファンを置いてきぼりにする展開だなーって感じ。笑
一緒に行った人はエヴァを観たことない人だったので、実に微妙な雰囲気にw

でも、初めて観たけども、取り敢えず「面白かった♪」の声は貰えました。笑


早く続きが観たい!
来年かな?


アスカが良かったなー。笑



エヴァが社会現象になった時代を生きた世代としては、次で最後だなんてちょっと切ない気もするけども、早く完結編が観たいでごわす!


…なんか、観たあと 嫌なこと全部吹っ飛んだ様なサワっとした気分でした。笑


良かったよ。是非、お薦めでござんす。


2012年11月19日月曜日

邪拳道。

ここ最近、会社で『男気ジャンケン』という遊びが流行っている。

…若者の間で。笑


ジャンケンした際、例えばペナルティーとして敗者がジュースを買ってこなくてはいけない、とかいうような一般的なルールでなくて、『男気ジャンケン』とは勝者が男気を魅せるという意味で喜んで敗者(達)の分のジュースを買ってくる、、みたいないわば勝敗逆転ルールのジャンケンなのだ!

心の中で邪道のジャンケン、「邪拳」、と勝手に呼んでいる。笑


実は私、ジャンケンにはそこそこ自信がありまして。


というのも、自分流のジャンケンに対する攻略法を幼い頃から編み出し続けているからであります。

子供の頃は、兄にはほぼ勝てず、友達としても何も考えずただ運任せなジャンケンをしておりました。

でも、ある時気付いたんです。


ジャンケンする時に、なんらかの「予感」を感じ取って、大体の勝敗を察知することが出来る自分の直感力の高さに!
…なんて、大袈裟に書いたら神経疑われますねw
でも、一対一のジャンケンであれば、かなりの確率で勝てる法則を、私は見つけました。

それは。。




(ここで書いても、かなり直感力に頼っている技なのは確かなので、紹介しても直感力や洞察力ない人は恐らく体得できないだろうことを祈り、紹介したいと思います)



それは!

『その人の人間性や体系によって、一発目に繰り出されるジャンケンの種類が大方決まっている』
というもの。

。。笑


馬鹿にすべからずw



あのね。
子供の頃からそうして私は勝ってきました。



下記にその法則を記します。



【グー】…体系は筋肉質な人や太っている人に多い。また、人間性としては柔和な人や誠実な印象を受ける人に多い。あまり悪知恵が働かない、一般的に良い人は大概一発目にグーを繰り出します!(わっためがす統計)


【チョキ】…体系は痩せ型の人に多い。また、人間性としてはずる賢さや自分より弱い人間には態度豹変するような陰険な印象を受ける人に多い(←ひどいw)。悪知恵が人より働いたり頭の回転が早い人に、一発目チョキを繰り出す確率が非常に高いと思われます。(わっためがす統計)


【パー】…体系は肥満体系の人に多い。また、グーと性質が似た人がパーを出す傾向が強いが、グーより狡猾な人、しかしながら物事を広い視点で捉えようとする姿勢が見える人は最初にパーを出す傾向が強い。本当かぃ!表現は難しいが、チョキより誠実でグーよりずるい、どこか捉えどころのない印象の人に多い。(わっためがす統計)



以上。笑



これを、「じゃー、んけーん、ぽん!」の一瞬で思考するわけだが、上記の法則に基づいてジャンケンした時、勝率としては、そうだな、8割!といっても良いくらい私は勝てます。。
言い過ぎたな、7割、ですかね。
いや…6…?
取り敢えずやんない時より勝てます!


しかしながら、これは家族やより親しい人には通じません。
裏の裏を読み合っているので。



で、話は戻って、『男気じゃんけん』の話。
例によって、私は、(そうだな、名前を付けるとしたら【邪拳道】にのっとって)ジャンケンを敢行します。
しかしながら、『男気ジャンケン』は敗者がいわば勝者。
無意識のうちに【邪拳道】発動する私は、割りかし高確率で決勝まで残ったり、あわよくば勝ってしまう為、結果として損をしてしまいます。
先日も、後輩達とメシを食いに行った時、割り勘な気満々でしたが、流れで『男気ジャンケン』でメシ代払う人を決めよう、ということになりました。
無意識に【邪拳道】発動です。
喜ぶべきか否か、その時も勝ってしまいました(これって、逆にジャンケン弱い?)。
で、一万円近くを奢るハメになってしまったのですが、痛い出費とはいえ、まぁ先輩なので奢るのは良しとしましょう。

でもね、普通に奢るのと違って、奢った人の威厳がこれっぽっちもありません。笑
奢った時のやせ我慢しつつのカッコ付けも、ちょっと後輩に太っ腹なとこ魅せるとか、そんな感じが一切しません。

だって、ジャンケンに勝って、勝負に負けてるわけですから。w
いわば罰ゲームになってしまってるわけです。
奢った上になんか損な気持ちになって、しかも負けた気持ちにもなる!

『男気ジャンケン』恐るべしです。


そこはやっぱり、男気でいくべきなんでしょうねw


いや!奢る時は最初っから奢るでぇ!って感じでいきたいよ。
ぼかぁ

苦笑



まぁ、なんにせよ、【邪拳道】に入門したい方は、遠慮なくマスターまで問い合わせ下さい。
入門者は今んとこゼロです!

…押忍!



…さんざん書いたけど、ぶっちゃけなんも考えず直感でやってるだけですけどね!



押忍!

2012年11月10日土曜日

ジッチャン

自分の育ての親は祖母ちゃんで、実家が床屋ということもあってか、幼い頃から色んな人に面倒を視てもらいながら育ちました。

祖母ちゃんの実の兄でもある、ジッチャン(本名不明、友人達からの通称は仙人)には、特に可愛がって貰ってました。

保育園の送り向かいはジッチャンのチャリンコの籠に乗って。
寝小便を掛けば、布団をジッチャンが運んで一緒に家まで帰ったり。
ジッチャンの孫の姉ちゃんや兄ちゃんにも可愛がってもらい、親戚の枠を越えて、皆して一番近い家族のような繋がりで今でもそれは変わらずに思ってます。

そのジッチャンも今年で95歳。

長寿の一族です。

兄と妹と、揃って床屋さん。

つい最近までバイクが交通手段で、チャリンコも健在。
だと思ってました。

1世紀近くも生きてると、やっぱ身体も思うようには動かないみたいで(当然かもしれないけど)、実家に帰る度に、老いの印象を禁じえません。
当然かもしんないけど。


こないだ、実家に電話した時に、ジッチャンが危篤状態という話を聞きました。

取り敢えず、山は越えたそうで、今は持ちこたえてるそうなので少し安心はしてますが。
でも、いずれ時間の問題で、迎えるべく時間は刻一刻と、無情だけど穏やかに、刻んでるみたいです。


老いれば必ず、迎える覚悟をしながら生きていくものなのかもしれません。
でも、その電話で聞いたのは、祖母ちゃんや家族が来た時に、涙を流したのだとか。
喋れないけれど、感情はそのまま。
肉体は衰えるかもしれないけれど、心や感情は、ひょっとしたらずっと輝き続けてるものなのかもしれないなって。


誰だって死を受け入れて生きるということは、しんどいことだと思います。
自分がもし、今のままで「死」と隣り合うことがあったら、まともでいれるか疑問です。

100年近く生きてるうちに、ゆったりと受け入れていくものなのかもしれませんが、やっぱ、老いた今も尚、近しい人達を視て涙を流すということは、それって今の自分も老いたジッチャンも、そんなに心境的には違いはないのかもしれないな、なんて思いました。

充分生きただろう、とか、ただ受け入れるだけの他人事ではいられず、涙したって話を聞いた時に浮かんだ想いは、『可哀想』。
今自分はまだ若いけれど、ジッチャンとの間にあるのは『年月』という隔たりだけ。

死にたくないという想いや、恐いと感じる想いは、きっと自分とそんなに違わないんじゃないだろうか(語弊はあるけど)。

そう思うと、同情もあるし、名残惜しい気持ちで一杯になるし、可哀想になってくる。
こういう時に涙は気付かぬうちに湧いてきて、人の人生の貴重さを噛み締めます。


人の心の中で生き続けるとか、忘れない限りは死なないとか、それとはまた違う次元でリアルな喪失感は、出来れば一生味わいたくはありません。

近い存在を亡くすということの悲しみを、本当の意味ではまだ味わったことはないのかもしれません。

考えたくもないけれど、親も、祖母ちゃんだって、いずれは兄弟も、そして自分も。
いつかはこの世から無くなって、新しい命の糧になっていくんでしょう。

でも、もしその時が来たら、きっとその気持ちを誰かに分かって貰いたい。
そんな風に思うんじゃないだろうか。
『人は最後まで孤独』という言葉もあるけれど、その気持ちに付き添える限り最後まで隣り合うことが、一番寂しくさせない方法なのかな、ってちょっと思いました。



あなたは1人じゃないよ、見守ってるよ。
ずっと忘れないよ。いつかの晩餐で、話のタネに上がって笑い合いながら思い出したりするよ。
あなたの育てた子供達や、可愛がった妹の孫達は、ジッチャンの存在感も人情も、面白さも繊細さも、受けた恩も与えられた愛情も、無くさないで暫く生きていくよ。

孤独や寂しさや名残惜しさは拭えないかもしれないけれど、ちゃんと想ってるから。

その時まで、思いっきり生きて下さい。


遠く離れた地より
文では伝わらない、真心と愛を込めて。



…いや、生きてるからこそね!