2012年3月5日月曜日

甘え。

「自分が嫌いな人間は、その人物に内面の自分を見るから」とよく言われるけれど、今いちピンと来てはいません。

会社で、自分が嫌いな人間は少なからずいるわけで。
それはまた逆も然りだと思うし、人間が集まればやっぱ避けらんない事なのかも。

ただ、自分がなぜそいつの事嫌いなのかな?って考えたことがあって。
その事についてちょっと綴っときたいと思う。

分かる様に言うと、「他人の心に土足で上がる」人が自分は嫌いです。
でも土足で上がられても踏み荒らされない限りは別になんともないわけで。
むしろ土足で上がって欲しい人達は沢山います。仲良くなりたいって意味で。
じゃあなぜそんなに癇に障るのかなって悩んでました。

で、思い至ったのが、「甘え」が癪に障るってこと。
そういう、「他人の心に土足で上がる人」ってのは、それが許されることだと思ってやってるわけだし、『俺ってこういう奴だから〜』って公表しとけば、キャラで通ったり誰かが『しょうがないなぁ』と受け入れてくれると思ってる。
つまり、他人への「甘え」が強いんだと思います。
普通であれば、それは家庭とか本当に親密な関係であればこそ許される(かどうかは知らないけど)行為であって、大抵学校とか社会に出て【自立】しなくちゃいけない環境になって初めて見直すことなんだと思う。
でも、そういう「土足行為」にいつまでも疑問持てなかった(または周りが教えてあげなかった)人間が、その「甘え」を周りに巻き散らかすんだと思います。

そこで、俺みたいな他人に厳しい人間が
「いい歳こいて甘えてんなよ!」と苛つくわけでww

やっと自分の心理が判ったような気がします。

自分に厳しく、他人に優しく

その域は、本当に自分ではまだまだ理解できないことだと思ってたけど、こうやって考えると、他人の「甘え」を受け入れる寛大さのことを言ってんのかな?とも思えました。
そうやって、自分の苛立ちに確信持てると、前程血圧高くもならんし。

要するに、俺がいままで思ってたことは
「俺が甘えてないんだからお前も甘えんなよ」って心理なわけで。
当然、一人でなんでも出来ないし、自分も充分過ぎるほど他人に甘えて日々を送ってます。
自分のことは棚にはあげたくないし、そのことに苛つくのも充分に他人への甘えだと思います。

でも、苛つきの原因が判っただけでも一歩前に進んだかな。

そんな風に思った夜でした。

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